CRESCENT LAMENT "Land Of Lost Voices" ポストカード+ブックマーカー付き
CRESCENT LAMENT "Land Of Lost Voices" ポストカード+ブックマーカー付き
販売価格: 2,100円(税込)
商品詳細
日ごと降りしきる雨は
犠牲者たちの血と涙にちがいない
祈りも
契り も
愛 さえ も
残酷な現実の前に散っていった
嗚呼 …… もはや二人のための慰めの言葉など
いささかの意味もなさない
それでも
たとえ そうであっても
この歴史は この事実は
強く 深く 我らの心に刻み込まねばならない
失われた者たちの声を
届けよ!
銃弾をも弾き返す 精神と心
銃剣でも貫かれぬ 絆と誇り
これから芽吹く花たちが立派に咲き誇れるよう
種はひそやかに……
蒔かれた!!!
これは東洋一の悲劇的バンド。消えかかろうとしていた台湾の歴史を台湾の言葉で語り継いでいく役割を担う純然たる台湾のフォークメタル、CRESCENT LAMENT(恆月三途)。
2015年の2ndアルバム『Elegy For The Blossoms(花殤)』から5年……
つひえたかのように見えた阿香(A-hiong)と明風(Bîng-hong)の運命はか細い糸でつながっていた。巡り逢えた二人のロマンスは静かに熱く再燃する。ようやく手に入れた幸せ。けれどもそのときは突然に訪れる……
メンバー自らが台湾の歴史と文化を徹底的に調査した結果得られた史実に創作を交えて紡がれる悲劇的感動巨編。
主人公である阿香と明風は大東亜戦争後に崩壊してゆく台湾社会で、戦時中よりもさらに凄惨で恐ろしい日々を経験することになる。
二・二八事件。
その惨劇の只中へ……
======================================
時は大東亜戦争末期。
不幸な成り行きで幼くして置屋に売られ芸者となった阿香(A-hiong)は、青年実業家の明風(Bîng-hong)と出会い、またたく間に恋に落ちます。それはまさに運命の相手でありました。ところが明風は1943年に仕事で日本へ旅立つことに。それでも二人は帰国した後に結婚の約束をしていたのですが、戦争末期の混乱により、なんの連絡もできないまま大幅に帰国が遅れてしまいました。いくつもの季節が通り過ぎ、終戦後の1946年初頭、ようやく明風が台湾に戻るも、その日は女将の取り決めで裕福な林水堂(Lim Sui-tong)の妾として阿香が嫁ぐ前日でした。すでに何もかもが遅かったのです。二人は為す術もなく離れ離れに……
『Land Of Lost Voices(噤夢)』の物語はここから始まる。
ーー1945年の終戦を境に約半世紀にわたって統治してきた台湾を離れた日本。替わって大陸から台湾にやってきたのは中国国民党。当初は歓迎したが、3カ月もしないうちに深い失望へと変わった。国民党の役人は腐敗しており、日本の政府よりも抑圧的であることに気づく。彼らが民間人を強姦、殺害、強奪することは日常茶飯事。刑事事件は1年で28倍に増加するーー
3曲目「暮山船影(Ominous Shadows)」は1945年10月25日の出来事。日本統治が終了し、中華民国が台湾を編入した。当初、台湾人は国民党政権を歓迎したのだが……
4曲目「夢空(Empty Dream)」は1946年1月の出来事。婚約をするも帰ってこない明風。残された阿香に望まない結婚が近づく。気持ちは虚ろ。
5曲目「初霜花(Frosty Flower at Dawn)」は1946年初春の出来事。ようやく明風が帰国するも時すでに遅く悲しみに暮れる阿香。もう少し、あともう少しだけ明風の帰りを待ってさえいれば。春の雨風に散りゆく花、色褪せる景色、打ち捨てられた運命。
裕福な家庭に嫁いだ阿香の生活は、外界の混乱からは隔てられているように見えましたが、悲劇は起こります。1946年の夏、3人の軍人が林水堂の家に強盗に入ったのです。それを阻止しようとした林の2人の息子は射殺されてしまいました。林は警察に助けを求めますが、彼が話せるのは日本語と台湾語。北京語しか通じない警察官に追い返されます。ところが翌日になって、その警察官は林家の財産に関する話を聞きつけて奪いにやって来ました。林は抵抗するのですが、警察官は彼を中庭で跪かせ、銃で殴りつけて大怪我を負わせます。そのことが原因で、林水堂は一週間後に死亡しました。林一家はすぐに全財産を売却し、日本に移住することを決めました。しかし、妾である阿香は家族の一員とはみなされず、台湾に残されて宿無しになってしまいます。
6曲目「雁紛飛(Vortex of Collapse)」は1946年夏の出来事。いたるところで傍若無人に振る舞い続ける軍。そしてついに林家も被害を受けて林水堂は死んでしまいます。秩序なき社会に放り出され、荒れ狂う大海に浮かぶ木の葉のように揉まれ漂う阿香。天涯孤独!
そんな彼女の前に再び現れたのが明風でした。彼は新聞で林一家に起こった事件を知り、急いで阿香の元へ駆けつけ、彼女を基隆市に構える自分の小さな商店へと連れて帰ることにしました。基隆は台湾の北端にあり、門戸として栄えた港湾都市です。
7曲目「灰月漸明(Where Ashen Moonlight Shines)」は1946年晩夏の出来事。林水堂が他界したことで拠り所を失った阿香を救い連れ戻した明風。ついに再開を果たした二人に穏やかな時間が流れます。
8曲目「破鏡緣(Once Shattered Mirror)」は1947年旧正月の出来事。相思相愛の明風と正月を一緒に過ごす阿香。親も家族もなく、これまで芸者として生きてきた彼女は自分を愛してくれる人と共にこの大切な節目を迎えたことなど一度たりともなかったのです。幸せなひととき。しかしその頃、台湾の状況は悪化していきます。阿香は明風の幸せを願いながらも、凍てつく寒波の到来に暗い未来を予感するのです。
ーー国民党政府は大量の生活必需品を密かに中国へと持ち出していた。それが原因となって台湾では深刻なインフレを引き起こす。1946年以降、政府と軍の腐敗により、米の価格が大幅に上昇し、多くの民間人が米を入手できなくなった。非政府統計によると、1945年8月から1947年1月までの間に、農作物の価格は400倍に上昇。公式の数字によると、1950年までに米の価格は15,000倍、砂糖の価格は13,000倍にまで上昇している。台湾で豊富な生産量を誇る米と砂糖がこのような状況ならば、他の必需品は推して知るべし。一例を挙げると、アスピリンの価格は40万倍にもなった。このインフレは米不足と相まって、町は餓死する者で埋め尽くされた。さらにコレラが蔓延。新聞では食糧不足による一家心中が頻繁に報道される。この1946年は台湾の自殺者数が過去最高となった年であるーー
ーー国民党政府の抑圧と搾取に台湾人の不満は爆発寸前。1947年2月27日、生活苦のため、闇(密輸と言われた)タバコを販売していた女性に対して専売局の役人と外省人官憲は銃の柄で殴打し、タバコと所持金を没収する。さらにそこに集まった多くの人々に向かって発砲。無関係の台湾人に被弾して死亡させてしまう。もはや台湾人は黙っていなかった。この事件の話は一夜にして台湾を駆け巡り、彼らは翌28日に抗議行動を開始する。しかし、それを一掃するかのように機銃掃射を浴びせられ多くの死傷者がでてしまう。二・二八事件の勃発。それまで鬱積してきたものが弾けるがごとく騒乱が起こり、悪化の一途をたどるかのように思われた。しかし、その政府に激しく抵抗していた台湾各地の人々は、この事態を収束させるべく、3月4日、各地の指導部は国民党政府との協議会を組織。台湾省行政長官兼警備総司令の陳儀は台湾人からの要求をすべて呑むかのように前向きにそして平和的な話し合いを行った。ところが、それはうわべだけのこと。事態を重く見た陳儀は大陸にいる蒋介石へ民衆の反乱の報告と援軍要請を行っていたのだーー
1947年初頭、明風と阿香は悲願だった結婚にいたります。明日をも知れぬ時代にあって、質素な二人の生活はささやかで慎ましい幸せのかたちでした。しかし、二・二八事件が起きたことで、その幸せは消え失せてしまうのです。当時の台湾の若者たちと同じように近代的な教育を受けた明風は、台湾の未来に情熱を燃やしていました。1947年3月8日、彼は「基隆港で何か起こったらしい。きみと僕たちの子供のためにも確かめに行かなくては」と阿香に告げます。そして阿香を抱きしめながら「夕方には戻る。もしも日暮れまでに帰れなければ、社寮島にある兄弟の家で一晩過ごすことにするから」 と出ていってしまいました。
9曲目「北城風雨(Northern Storm)」は、1947年2月28日の出来事。勃発した二・二八事件。その騒乱を知った阿香。
1曲目「魘臨(Gnawing Nightmare)」は1947年3月8日夜の出来事。2月28日より続く悪夢のような日々。基隆港へ様子を見に行った明風は国民党軍に追われます。
ついに明風は帰ってきませんでした。翌日になって阿香は、「3月8日に中国からの援軍が基隆港から上陸し、船が停泊する前から機関銃で人を撃ち始めた」と近所の人から聞かされました。さらに彼らは路上でも無差別に人々を撃ったのです。学生のグループは、鼻、耳、性器を切り取られた後、銃剣で突かれました。生き残った者は手のひらと足首に穴を開けて太い針金を通し横一列に並べられて後頭部を撃ち抜かれて港に蹴り込まれたのです。数日後、無数の遺体が港を塞いでしまったので海岸に積み上げられるまでになっていました。その凄惨な光景を見て明風の姿が重なり、耐えかねた阿香は一日中泣き続けるのです。
10曲目「孤燈微微(By the Lone Light)」は1947年3月8日以降の出来事。国民党の援軍が台湾に上陸し、多くの台湾人を殺害していきます。港へ様子を見に行ったまま帰らぬ明風を心配する阿香。過酷な状況の中、ようやく手にした幸せだったはずなのに、それもつかの間の時に過ぎなかったのだろうか。明風の無事を切に祈れども絶望感に押しつぶされて泣き崩れる、その阿香のお腹には小さな命が宿っていました。
11曲目「汐別(Tides of Time)」は1948年晩春の出来事。明風は待てど暮らせど戻ってきません。彼が別れ際に告げた言葉を頼りに社寮島へと赴く阿香。その場所こそ彼女に残された最後の希望。心の奥底では明風が二度と戻らないことを知りつつも、ひょっとしたら再会できるかもしれないというわずかな希望を胸に、身なりを整えて毎日島へと通います。そして歌を歌いながら日が暮れるまで明風を探し続けるのです。
現実は阿香へ容赦のない仕打ちを繰り返します。どれほど月日が過ぎても明風の姿は、そしてその遺体すらも見つかることはありませんでした。国民党政府はその後の2カ月間にわたって反乱を激しく取り締まり、台湾全土で粛清が行われました。約2万人の民間人が殺害されましたが、その多くは若い世代です。医師、弁護士、教授、議員といった知識人たちが大量に処刑されて世代全体が消滅させられたのです。その後、1949年から1992年までの白色テロの期間、独裁政権は14万人の犠牲者を出したということです。(1949年に出された戒厳令は1987年まで続き、言論の自由は1992年まで許されなかった)
2曲目「念伊人(Another Night of Solitude)」は1948年暮れの出来事。明風が戻らないまま季節だけが移り変わってゆく。遺体が発見されていないのならば一縷の望みはあるはず。阿香は明風の帰りをただひたすらに待つ。もはや再会できるのは夢の中だけだとわかっていても……
それ以来、社寮島では海辺に立って夕日を眺めながら歌を口ずさむ身なりの良い若い女性を毎日見かけるようになったということです。
ーー軍は二・二八事件で台湾人が抵抗したことを受けて社寮島にも血みどろの復讐を行う。その多くの犠牲者の中には30人の沖縄県民も含まれていた。当時の社寮島には沖縄県民の漁師が移住しており、台湾最大の沖縄人集落となっていた。虐殺の後、島の名前は永遠の平和を願って「和平島」と改められることとなる。そして長きにわたる白色テロも終焉を迎え、90年代後半には2月28日を平和記念日と制定。けれども当時虐殺に関与していた政府末端の軍人は責任を問われることはなかった。つまり加害者のいない被害者だけが存在する悲劇となってしまったのであるーー
======================================
プロデュースはJesse Black Liu(CHTHONIC)とバンド自身
レコーディングはJesse Black Liu(CHTHONIC)
ミックスはRickard Bengtsson(ARCH ENEMY、FIREWIND、SPIRITUAL BEGGARDS、CHTHONIC)
マスターはMika Jussila(AMORPHIS、ANGRA、BATTLE BEAST、CHILDREN OF BODOM)
2020年発表
収録曲
01.魘臨(Gnawing Nightmare) 1:18
02.念伊人(Another Night of Solitude) 5:04
03.暮山船影(Ominous Shadows) 5:17
04.夢空(Empty Dream) 4:49
05.初霜花(Frosty Flower at Dawn) 4:42
06.雁紛飛(Vortex of Collapse) 4:36
07.灰月漸明(Where Ashen Moonlight Shines) 4:00
08.破鏡緣(Once Shattered Mirror) 5:15
09.北城風雨(Northern Storm) 5:10
10.孤燈微微(By the Lone Light) 5:37
11.汐別(Tides of Time) 1:25
サンプル動画は嗩吶(スオナ)や二胡の音が悲し響く「孤燈微微(By the Lone Light)」のMV。
1947年3月に無差別虐殺で亡くなった明風。後にそのことを察した阿香が悲痛でやるせない気持ちに襲われて泣き崩れる場面。
雨の多い基隆は「雨の都」と呼ばれた。それは流れた血を洗う悲しみの涙か、はたまた……
ビデオの中で明風は最愛の妻である阿香へ手紙をしたためている。これは二・二八事件と白色テロの間に国民党軍に囚われた台湾のエリートたちが実際に書いていた手紙を基にした演出。その手紙の内容は妻への感謝の気持ちや愛情、子供を育てるために強くなってほしいこと……。そう、彼らは処刑を目前にしても家族の将来のことだけを考え、死後に再会できることをただひたすらに願うばかりであった。
今日ではカラフルに彩られたな建物を背景にポーズを決め、海鮮に舌鼓を打つ観光客が訪れる穏やかな港町。けれどもその懐は、ささめきながらしとどに泣き濡れ、鈍色の空の下、社寮島(和平島)は朧に浮かぶのであります。
犠牲者たちの血と涙にちがいない
祈りも
契り も
愛 さえ も
残酷な現実の前に散っていった
嗚呼 …… もはや二人のための慰めの言葉など
いささかの意味もなさない
それでも
たとえ そうであっても
この歴史は この事実は
強く 深く 我らの心に刻み込まねばならない
失われた者たちの声を
届けよ!
銃弾をも弾き返す 精神と心
銃剣でも貫かれぬ 絆と誇り
これから芽吹く花たちが立派に咲き誇れるよう
種はひそやかに……
蒔かれた!!!
これは東洋一の悲劇的バンド。消えかかろうとしていた台湾の歴史を台湾の言葉で語り継いでいく役割を担う純然たる台湾のフォークメタル、CRESCENT LAMENT(恆月三途)。
2015年の2ndアルバム『Elegy For The Blossoms(花殤)』から5年……
つひえたかのように見えた阿香(A-hiong)と明風(Bîng-hong)の運命はか細い糸でつながっていた。巡り逢えた二人のロマンスは静かに熱く再燃する。ようやく手に入れた幸せ。けれどもそのときは突然に訪れる……
メンバー自らが台湾の歴史と文化を徹底的に調査した結果得られた史実に創作を交えて紡がれる悲劇的感動巨編。
主人公である阿香と明風は大東亜戦争後に崩壊してゆく台湾社会で、戦時中よりもさらに凄惨で恐ろしい日々を経験することになる。
二・二八事件。
その惨劇の只中へ……
======================================
時は大東亜戦争末期。
不幸な成り行きで幼くして置屋に売られ芸者となった阿香(A-hiong)は、青年実業家の明風(Bîng-hong)と出会い、またたく間に恋に落ちます。それはまさに運命の相手でありました。ところが明風は1943年に仕事で日本へ旅立つことに。それでも二人は帰国した後に結婚の約束をしていたのですが、戦争末期の混乱により、なんの連絡もできないまま大幅に帰国が遅れてしまいました。いくつもの季節が通り過ぎ、終戦後の1946年初頭、ようやく明風が台湾に戻るも、その日は女将の取り決めで裕福な林水堂(Lim Sui-tong)の妾として阿香が嫁ぐ前日でした。すでに何もかもが遅かったのです。二人は為す術もなく離れ離れに……
『Land Of Lost Voices(噤夢)』の物語はここから始まる。
ーー1945年の終戦を境に約半世紀にわたって統治してきた台湾を離れた日本。替わって大陸から台湾にやってきたのは中国国民党。当初は歓迎したが、3カ月もしないうちに深い失望へと変わった。国民党の役人は腐敗しており、日本の政府よりも抑圧的であることに気づく。彼らが民間人を強姦、殺害、強奪することは日常茶飯事。刑事事件は1年で28倍に増加するーー
3曲目「暮山船影(Ominous Shadows)」は1945年10月25日の出来事。日本統治が終了し、中華民国が台湾を編入した。当初、台湾人は国民党政権を歓迎したのだが……
4曲目「夢空(Empty Dream)」は1946年1月の出来事。婚約をするも帰ってこない明風。残された阿香に望まない結婚が近づく。気持ちは虚ろ。
5曲目「初霜花(Frosty Flower at Dawn)」は1946年初春の出来事。ようやく明風が帰国するも時すでに遅く悲しみに暮れる阿香。もう少し、あともう少しだけ明風の帰りを待ってさえいれば。春の雨風に散りゆく花、色褪せる景色、打ち捨てられた運命。
裕福な家庭に嫁いだ阿香の生活は、外界の混乱からは隔てられているように見えましたが、悲劇は起こります。1946年の夏、3人の軍人が林水堂の家に強盗に入ったのです。それを阻止しようとした林の2人の息子は射殺されてしまいました。林は警察に助けを求めますが、彼が話せるのは日本語と台湾語。北京語しか通じない警察官に追い返されます。ところが翌日になって、その警察官は林家の財産に関する話を聞きつけて奪いにやって来ました。林は抵抗するのですが、警察官は彼を中庭で跪かせ、銃で殴りつけて大怪我を負わせます。そのことが原因で、林水堂は一週間後に死亡しました。林一家はすぐに全財産を売却し、日本に移住することを決めました。しかし、妾である阿香は家族の一員とはみなされず、台湾に残されて宿無しになってしまいます。
6曲目「雁紛飛(Vortex of Collapse)」は1946年夏の出来事。いたるところで傍若無人に振る舞い続ける軍。そしてついに林家も被害を受けて林水堂は死んでしまいます。秩序なき社会に放り出され、荒れ狂う大海に浮かぶ木の葉のように揉まれ漂う阿香。天涯孤独!
そんな彼女の前に再び現れたのが明風でした。彼は新聞で林一家に起こった事件を知り、急いで阿香の元へ駆けつけ、彼女を基隆市に構える自分の小さな商店へと連れて帰ることにしました。基隆は台湾の北端にあり、門戸として栄えた港湾都市です。
7曲目「灰月漸明(Where Ashen Moonlight Shines)」は1946年晩夏の出来事。林水堂が他界したことで拠り所を失った阿香を救い連れ戻した明風。ついに再開を果たした二人に穏やかな時間が流れます。
8曲目「破鏡緣(Once Shattered Mirror)」は1947年旧正月の出来事。相思相愛の明風と正月を一緒に過ごす阿香。親も家族もなく、これまで芸者として生きてきた彼女は自分を愛してくれる人と共にこの大切な節目を迎えたことなど一度たりともなかったのです。幸せなひととき。しかしその頃、台湾の状況は悪化していきます。阿香は明風の幸せを願いながらも、凍てつく寒波の到来に暗い未来を予感するのです。
ーー国民党政府は大量の生活必需品を密かに中国へと持ち出していた。それが原因となって台湾では深刻なインフレを引き起こす。1946年以降、政府と軍の腐敗により、米の価格が大幅に上昇し、多くの民間人が米を入手できなくなった。非政府統計によると、1945年8月から1947年1月までの間に、農作物の価格は400倍に上昇。公式の数字によると、1950年までに米の価格は15,000倍、砂糖の価格は13,000倍にまで上昇している。台湾で豊富な生産量を誇る米と砂糖がこのような状況ならば、他の必需品は推して知るべし。一例を挙げると、アスピリンの価格は40万倍にもなった。このインフレは米不足と相まって、町は餓死する者で埋め尽くされた。さらにコレラが蔓延。新聞では食糧不足による一家心中が頻繁に報道される。この1946年は台湾の自殺者数が過去最高となった年であるーー
ーー国民党政府の抑圧と搾取に台湾人の不満は爆発寸前。1947年2月27日、生活苦のため、闇(密輸と言われた)タバコを販売していた女性に対して専売局の役人と外省人官憲は銃の柄で殴打し、タバコと所持金を没収する。さらにそこに集まった多くの人々に向かって発砲。無関係の台湾人に被弾して死亡させてしまう。もはや台湾人は黙っていなかった。この事件の話は一夜にして台湾を駆け巡り、彼らは翌28日に抗議行動を開始する。しかし、それを一掃するかのように機銃掃射を浴びせられ多くの死傷者がでてしまう。二・二八事件の勃発。それまで鬱積してきたものが弾けるがごとく騒乱が起こり、悪化の一途をたどるかのように思われた。しかし、その政府に激しく抵抗していた台湾各地の人々は、この事態を収束させるべく、3月4日、各地の指導部は国民党政府との協議会を組織。台湾省行政長官兼警備総司令の陳儀は台湾人からの要求をすべて呑むかのように前向きにそして平和的な話し合いを行った。ところが、それはうわべだけのこと。事態を重く見た陳儀は大陸にいる蒋介石へ民衆の反乱の報告と援軍要請を行っていたのだーー
1947年初頭、明風と阿香は悲願だった結婚にいたります。明日をも知れぬ時代にあって、質素な二人の生活はささやかで慎ましい幸せのかたちでした。しかし、二・二八事件が起きたことで、その幸せは消え失せてしまうのです。当時の台湾の若者たちと同じように近代的な教育を受けた明風は、台湾の未来に情熱を燃やしていました。1947年3月8日、彼は「基隆港で何か起こったらしい。きみと僕たちの子供のためにも確かめに行かなくては」と阿香に告げます。そして阿香を抱きしめながら「夕方には戻る。もしも日暮れまでに帰れなければ、社寮島にある兄弟の家で一晩過ごすことにするから」 と出ていってしまいました。
9曲目「北城風雨(Northern Storm)」は、1947年2月28日の出来事。勃発した二・二八事件。その騒乱を知った阿香。
1曲目「魘臨(Gnawing Nightmare)」は1947年3月8日夜の出来事。2月28日より続く悪夢のような日々。基隆港へ様子を見に行った明風は国民党軍に追われます。
ついに明風は帰ってきませんでした。翌日になって阿香は、「3月8日に中国からの援軍が基隆港から上陸し、船が停泊する前から機関銃で人を撃ち始めた」と近所の人から聞かされました。さらに彼らは路上でも無差別に人々を撃ったのです。学生のグループは、鼻、耳、性器を切り取られた後、銃剣で突かれました。生き残った者は手のひらと足首に穴を開けて太い針金を通し横一列に並べられて後頭部を撃ち抜かれて港に蹴り込まれたのです。数日後、無数の遺体が港を塞いでしまったので海岸に積み上げられるまでになっていました。その凄惨な光景を見て明風の姿が重なり、耐えかねた阿香は一日中泣き続けるのです。
10曲目「孤燈微微(By the Lone Light)」は1947年3月8日以降の出来事。国民党の援軍が台湾に上陸し、多くの台湾人を殺害していきます。港へ様子を見に行ったまま帰らぬ明風を心配する阿香。過酷な状況の中、ようやく手にした幸せだったはずなのに、それもつかの間の時に過ぎなかったのだろうか。明風の無事を切に祈れども絶望感に押しつぶされて泣き崩れる、その阿香のお腹には小さな命が宿っていました。
11曲目「汐別(Tides of Time)」は1948年晩春の出来事。明風は待てど暮らせど戻ってきません。彼が別れ際に告げた言葉を頼りに社寮島へと赴く阿香。その場所こそ彼女に残された最後の希望。心の奥底では明風が二度と戻らないことを知りつつも、ひょっとしたら再会できるかもしれないというわずかな希望を胸に、身なりを整えて毎日島へと通います。そして歌を歌いながら日が暮れるまで明風を探し続けるのです。
現実は阿香へ容赦のない仕打ちを繰り返します。どれほど月日が過ぎても明風の姿は、そしてその遺体すらも見つかることはありませんでした。国民党政府はその後の2カ月間にわたって反乱を激しく取り締まり、台湾全土で粛清が行われました。約2万人の民間人が殺害されましたが、その多くは若い世代です。医師、弁護士、教授、議員といった知識人たちが大量に処刑されて世代全体が消滅させられたのです。その後、1949年から1992年までの白色テロの期間、独裁政権は14万人の犠牲者を出したということです。(1949年に出された戒厳令は1987年まで続き、言論の自由は1992年まで許されなかった)
2曲目「念伊人(Another Night of Solitude)」は1948年暮れの出来事。明風が戻らないまま季節だけが移り変わってゆく。遺体が発見されていないのならば一縷の望みはあるはず。阿香は明風の帰りをただひたすらに待つ。もはや再会できるのは夢の中だけだとわかっていても……
それ以来、社寮島では海辺に立って夕日を眺めながら歌を口ずさむ身なりの良い若い女性を毎日見かけるようになったということです。
ーー軍は二・二八事件で台湾人が抵抗したことを受けて社寮島にも血みどろの復讐を行う。その多くの犠牲者の中には30人の沖縄県民も含まれていた。当時の社寮島には沖縄県民の漁師が移住しており、台湾最大の沖縄人集落となっていた。虐殺の後、島の名前は永遠の平和を願って「和平島」と改められることとなる。そして長きにわたる白色テロも終焉を迎え、90年代後半には2月28日を平和記念日と制定。けれども当時虐殺に関与していた政府末端の軍人は責任を問われることはなかった。つまり加害者のいない被害者だけが存在する悲劇となってしまったのであるーー
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プロデュースはJesse Black Liu(CHTHONIC)とバンド自身
レコーディングはJesse Black Liu(CHTHONIC)
ミックスはRickard Bengtsson(ARCH ENEMY、FIREWIND、SPIRITUAL BEGGARDS、CHTHONIC)
マスターはMika Jussila(AMORPHIS、ANGRA、BATTLE BEAST、CHILDREN OF BODOM)
2020年発表
収録曲
01.魘臨(Gnawing Nightmare) 1:18
02.念伊人(Another Night of Solitude) 5:04
03.暮山船影(Ominous Shadows) 5:17
04.夢空(Empty Dream) 4:49
05.初霜花(Frosty Flower at Dawn) 4:42
06.雁紛飛(Vortex of Collapse) 4:36
07.灰月漸明(Where Ashen Moonlight Shines) 4:00
08.破鏡緣(Once Shattered Mirror) 5:15
09.北城風雨(Northern Storm) 5:10
10.孤燈微微(By the Lone Light) 5:37
11.汐別(Tides of Time) 1:25
サンプル動画は嗩吶(スオナ)や二胡の音が悲し響く「孤燈微微(By the Lone Light)」のMV。
1947年3月に無差別虐殺で亡くなった明風。後にそのことを察した阿香が悲痛でやるせない気持ちに襲われて泣き崩れる場面。
雨の多い基隆は「雨の都」と呼ばれた。それは流れた血を洗う悲しみの涙か、はたまた……
ビデオの中で明風は最愛の妻である阿香へ手紙をしたためている。これは二・二八事件と白色テロの間に国民党軍に囚われた台湾のエリートたちが実際に書いていた手紙を基にした演出。その手紙の内容は妻への感謝の気持ちや愛情、子供を育てるために強くなってほしいこと……。そう、彼らは処刑を目前にしても家族の将来のことだけを考え、死後に再会できることをただひたすらに願うばかりであった。
今日ではカラフルに彩られたな建物を背景にポーズを決め、海鮮に舌鼓を打つ観光客が訪れる穏やかな港町。けれどもその懐は、ささめきながらしとどに泣き濡れ、鈍色の空の下、社寮島(和平島)は朧に浮かぶのであります。
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