SATWO "Di Persembunyian" サイン入り
SATWO "Di Persembunyian" サイン入り
販売価格: 2,000円(税込)
商品詳細
いったい今までどこに隠されていたんだ?
見つけられた者だけが包まれる
愛の絆のハーモニー
ひとつはふたつ ふたつはひとつ
ひ ふ ひ ふ
日は燦々と照り 風がすべてを運ぶ
ひふみのはじまり
Rafiz(ヴォーカル、ギター)とMaz(ヴォーカル、ピアノ、シンセサイザー)夫妻によるSATWOの織りなす音楽は「オルタナティヴ・ミュージックとフォーク・ミュージックをミックスし70年代と80年代のマレー・ポップの要素を取り入れたもの」。
デビュー・フルレンス・アルバムとなった『Di Persembunyian』では、デュオという構成に弦楽四重奏を加えるのみならず、PITAHATI、SPIDER、MARGASATWA、Iqbal M、TITIKDINGINDAMAIなどのメンバーの力を借りて制作。思い出の小箱からノスタルジーが溢れ出すような楽曲の数々(歌詞はシリアスだけど……)が出来上がった。
各曲で歌われている内容を大まかに説明していただきました。
「Untok Kita (Hanya Kita) 」英訳:For Us (Only Us)
他界してしまった彼女への愛から前に進むことができない男性が、霊的な再会を願いながら彼女のために祈り続ける物語。
「Langit Jingga」英訳:Orange Sky
近所にいたオレンジ色の猫は、Mazの障害を持つ飼い猫Kesotに毎日会いに来ており、2匹の猫たちは窓越しに見つめ合っていた。しかしある日、オレンジ色の猫は、いつものようにKesotに会いに来る途中で車に轢かれてしまう。悲しみと喪失感を表し、時間を巻き戻せたらと歌う。
「Gelap」英訳:Darkness
自分の中の悪魔や精神状態などに苦悩する人が、トンネルの先の光にたどり着く方法を見つける話。
「Sepasang Sayap」英訳:A Pair Of Wings
過去に悪い経験をしたことで恋に落ちることを恐れている男性の物語。
「Aku Mahu」英訳:I Want
貪欲で物質主義者で世界のすべてを欲しがる人物について。
「Akhirnya」英訳:At Last/Finally
ようやく目標を達成したときに感じる気持ち。しかし、だからといって安心できる場所に留まるべきというわけではない。達成すべきことはまだまだ沢山あるのだから。
「Serahan Jiwa」英訳:Surrender Of Soul
降伏と、いかにしてユニバースが私たちを書かれてある目的地へと導いてくれるか。
「Betapa Indah」英訳:How Wonderful
良い時も悪い時も一緒にいること。
「Cahaya Malam」英訳:Lights Of The Night
たとえば、人生で何か悪いことがあったとしても世界は回り続けているという比喩。そしてそれにどう対処するかということ。
「Sungai Peristiwa」英訳:River of Memories
自分を偽るのが好きで、賞賛や評価を得るためならどんなことでもやってしまう人のこと。 当然それはすべて偽物で、その人物の本来の姿は“仮面”の後ろに隠れている。
インタビューから一部抜粋
ARR:あなた方は夫婦ですよね。SATWOとして活動を始めるまでの流れを教えていただけますか。
Maz:2013年にクアンタンにあるホテルのラウンジで一緒に演奏を始めました。主に英語とマレー語のオールディーズやトップ40の曲を演奏していて、3か月間毎日会っているうちに、私たちの愛は徐々に芽生えていきました。一緒に仕事をし始めて7か月後に婚約、2年後に結婚したんですよ。そういえば、自分たちの結婚式でも演奏したの!それからマラッカで2年間路上ライヴをしていた時期があって、その時に稼いだお金を貯めて2016年にクアラルンプールでオリジナル曲2曲のデモを録音することにしました。「Untok Kita (Hanya Kita)」という曲のDIYミュージックビデオを撮影し、その後にLuncai Emasというレーベルにスカウトされたの。
ARR:SATWOというグループ名はマレー語で1を表すSatuと英語で2を表すTwoの合成語ですね。ここにはどのような意味合いが込められているのでしょうか。
Maz:SATWOという単語は、1曲の中に2つの声があることを象徴していて、私たちのほぼすべての曲で見られる、私たちの声を利用して独特のハーモニー効果を生み出す方法について触れているの。
ARR:最初は英語で歌っていましたが、音楽のコンセプトや目指していた音楽はどのようなものでしたか。また、誰か目標としていたミュージシャンはいましたか。
Maz:作曲を始めるとき、私たちは特にジャンルを決めて作曲するのではなく、自然に流れ出るままにさせて、そこからどう進んでいくかを見ていきます。けれども、英語であれマレー語であれ、私たちの作曲のほとんどはハーモニーを重視したものなので、THE BEATLESのスタイルは私たちの心の中で特別な位置を占めていると言えるわね。
ARR:さて、あなたがたは2018年8月17日に東京は高円寺にあるSUB Store Tokyoで演奏する機会がありました。どのようにしてこのような機会を得ることができたのですか。
Maz:私たちは千葉で開催される<SUMMER SONIC>を見るために日本に行きました。友人でミュージシャン仲間のNoh Salleh(注:HUJANのヴォーカリスト)が、もし演奏したいなら高円寺のSUB StoreのオーナーであるAndhika Faisalに連絡するように教えてくれたのよ。
ARR:日本にはおよそ2週間ほど滞在していたはずですが、その間、どのような経験をしましたか。
Maz:2015年に結婚した当時、私たちは新婚旅行に行く機会がなかったので、あの時の日本旅行は私たちの新婚旅行とも言えますね。東京に2週間滞在しましたが、2週間では時間が足りないくらい。見るものやりたい事柄がたくさんあり、東京をとても楽しんだわ。落合南長崎のAirbnbに1週間、それから銀座の一番安いホテルに1週間滞在しました。秋葉原のサウンドスタジオノアで数曲ライヴ録音(楽しみだけのために)したり、<SUMMER SONIC>に行ったり、<大井競馬場Tokyo City Flea Market>を見て回った時は床に並べられたタカミネのアコースティック・ギターの数々に驚き、渋谷のタワーレコードに行き、ハラール対応の「あやむや」でラーメンを食べ、ブックオフでスーツケース1つ分の中古CDとカセットを購入し、上野の国立西洋美術館に行き、葛西臨海公園でダイヤと花の大観覧車に乗り、結婚記念日には銀座の「Flor de Cafe 樹の花」に行きました。1979年にジョン・レノンとオノ・ヨーコが訪れたカフェだから。
ARR:では2024年にリリースされた1stアルバム『Di Persembunyian』についてですが、まず、レーベルのLuncai Emasとの契約にはどのような経緯があったのですか。
Maz:2016 年にインターネット・カフェにて自分たちの手で撮影、編集したDIYのミュージック・ ビデオ「Untok Kita (Hanya Kita) 」をアップロードしました。そして2017年にYouTubeではなく Facebookでそのビデオが注目を集めたのですが、PITAHATIのIlhamが私たちに声をかけてきてLuncai Emasと契約しないかと声をかけてくれたの。当時、私たちはすでにオープン・マイクや小規模なライヴ活動をしていたけど、「Echoes」「Feel Your Pain」「Face Your Fears」「Stuck in Between」「No Matter What」など英語の曲ばかりを演奏し、マレー語の曲は「Untok Kita (Hanya Kita) 」の1曲だけ。2018年10月に正式に契約し、Luncai Emasのビジョンに沿ってマレー語のフルレンス・アルバムを作ることにしました。彼らは私たちにはユニークなスタイルがあり、その技能を広げることに興味があると言ってくれました。
ARR:アルバムのアートワークには山奥の空中に浮かぶ黄金の球体。黒い服を着たあなた方2人を先頭に白い服を着た人々が後に続く姿が描かれています。タイトルになっている“Di Persembunyian”とこのアートワークにどのような意味が込められているのか教えていただけますか。
Maz:私たちって言葉遊びが好きなのよね。Di Persembunyianは隠れている/隠された音の場所ということ。“Sembunyi”は“隠れる”、“Bunyi”は“音”、という2つの意味がそこには含まれているの。アルバム・カバーのアート・ディレクションは、有名なコンセプチュアル・フォトグラファーのShah Azmanが担当しています。彼に私たちの曲を聴いてもらい、デビュー・アルバムのカバーにふさわしいものをイメージしてもらったのよ。大きな球体はアルバムの完成を象徴し、白い服を着た人々は、Rafizと私の過去の姿、つまり、最終的に今日のSATWOになる前に私たちが経験したすべてのことを表わしています。
ARR:アルバムの音楽については、結成当初のシンプルなスタイルとは少し異なります。まず、歌詞は英語ではなくマレー語です。サウンドは70年代風、またはノスタルジックな感じですがモダンさもありつ……うまく説明できませんが、この変更/追加要素はレーベルのアイデアだったと理解していますが、お二人はこの完成したものに満足していますか。お気に入りの曲などありましたら教えてください。
Maz:私たちの音楽スタイルを説明すると、オルタナティヴ・ミュージックとフォーク・ミュージックをミックスし70年代と80年代のマレー・ポップの要素を取り入れたものね。Luncai Emasと契約したとき、私たちは自分たちのアイデアと彼らのアイデアを組み合わせて、ある種、新しくて実験的なもの、あなたがおっしゃったように新鮮でありながら懐かしいものを作りたいと思っていました。シンセとストリングスの要素をすべて取り入れたのはプロデューサーのIlhamのアイデアで、彼は私たちの曲に新しい視点を与えてくれたわ。先ほども言いましたが、曲を作るときは特定のジャンルに限定せず、心にあるものを吐き出して自然に流れさせるだけ。聴衆にもそれを感じてもらえたらと思います。このコンセプトでの最終的な仕上がりには非常に満足しているわ。
私のお気に入りは「Sungai Peristiwa」「Akhirnya」「Cahaya Malam」「Langit Jingga」。
Rafizは「Gelap」「Sungai Peristiwa」が好き。
ARR:基本的に、あなた方自信がすべての曲を作詞作曲しているわけですが、プロデュースとアレンジを務めたIlham、そして彼のバンドPITAHATIのメンバーやSPIDERをはじめ様々なミュージシャンが演奏することで独自の雰囲気を加えていると考えます。まさに、SATWOとLuncai Emas関連の人々との相乗効果がこのアルバムだと言えるでしょう。本作に関わったミュージシャンたちを紹介していただけますか。
Maz:ドラムはPITAHATIのAchinとIqbal MのAidil。パーカッションはOly Fizly。ベースはPITAHATIのWatari(私たちと一緒に東京に来た人)。コントラバスにはMARGASATWAのShadiq。「Serahan Jiwa」でベースを弾いたのは他界してしまったSPIDERのTony。アディショナル・ギターとしてPITAHATIのZaharとHidayatが「Gelap」でギターソロを弾きました。(注:ブックレットを参照するとこの2人は他の曲にも参加しています)。また、RAMAYANのPi’eのフランス人妻が「Sepasang Sayap」でフランス語を話す場面もありました。他には、TITIKDINGINDAMAIのRusli Anuarが「Untok Kita (Hanya Kita)」「Langit Jingga」のストリングス・アレンジをしています。そしてその弦楽四重奏団はスルタンイドリス教育大学(UPSI)の3年生でした。Ilhamと私はいくつかの曲でシンセサイザーのパートを一緒に演奏しました。みんなが独自の方法で“味の素”を少し加えて、とてもユニークなものを一緒に作り上げたと思っているの。心から感謝しています。
ARR:あなた方が住んでいるのはクアラ・ルンプールから離れたクアンタンです。その地元の雰囲気というのは自分たちの作る音楽、そしてこのアルバムに反映されていると思いますか。
Maz:Rafizによれば、ええ、彼の曲作りは、住んでいる場所や日々の生活の仕方に影響を受けていると言っているわ。私個人としては、みんながみんな知っているような、のんびりしたペースの海辺の町で育ったことは素晴らしいことだけど、成長するには良くないことでもあと思うの。だから、マラッカ、コタ・ダマンサラ、シャー・アラムなどあちこち引っ越したことが、私の作曲スタイルの形成に役立ったと思う。
1stアルバム。
2024年発表
収録曲
01.Untok Kita (Hanya Kita) 5:59
02.Langit Jingga 5:16
03.Gelap 5:25
04.Sepasang Sayap 3:58
05.Aku Mahu 3:01
06.Akhirnya 3:10
07.Serahan Jiwa 5:20
08.Betapa Indah 3:51
09.Cahaya Malam 5:46
10.Sungai Peristiwa 5:40
サンプル動画は「Gelap」のMV
見つけられた者だけが包まれる
愛の絆のハーモニー
ひとつはふたつ ふたつはひとつ
ひ ふ ひ ふ
日は燦々と照り 風がすべてを運ぶ
ひふみのはじまり
Rafiz(ヴォーカル、ギター)とMaz(ヴォーカル、ピアノ、シンセサイザー)夫妻によるSATWOの織りなす音楽は「オルタナティヴ・ミュージックとフォーク・ミュージックをミックスし70年代と80年代のマレー・ポップの要素を取り入れたもの」。
デビュー・フルレンス・アルバムとなった『Di Persembunyian』では、デュオという構成に弦楽四重奏を加えるのみならず、PITAHATI、SPIDER、MARGASATWA、Iqbal M、TITIKDINGINDAMAIなどのメンバーの力を借りて制作。思い出の小箱からノスタルジーが溢れ出すような楽曲の数々(歌詞はシリアスだけど……)が出来上がった。
各曲で歌われている内容を大まかに説明していただきました。
「Untok Kita (Hanya Kita) 」英訳:For Us (Only Us)
他界してしまった彼女への愛から前に進むことができない男性が、霊的な再会を願いながら彼女のために祈り続ける物語。
「Langit Jingga」英訳:Orange Sky
近所にいたオレンジ色の猫は、Mazの障害を持つ飼い猫Kesotに毎日会いに来ており、2匹の猫たちは窓越しに見つめ合っていた。しかしある日、オレンジ色の猫は、いつものようにKesotに会いに来る途中で車に轢かれてしまう。悲しみと喪失感を表し、時間を巻き戻せたらと歌う。
「Gelap」英訳:Darkness
自分の中の悪魔や精神状態などに苦悩する人が、トンネルの先の光にたどり着く方法を見つける話。
「Sepasang Sayap」英訳:A Pair Of Wings
過去に悪い経験をしたことで恋に落ちることを恐れている男性の物語。
「Aku Mahu」英訳:I Want
貪欲で物質主義者で世界のすべてを欲しがる人物について。
「Akhirnya」英訳:At Last/Finally
ようやく目標を達成したときに感じる気持ち。しかし、だからといって安心できる場所に留まるべきというわけではない。達成すべきことはまだまだ沢山あるのだから。
「Serahan Jiwa」英訳:Surrender Of Soul
降伏と、いかにしてユニバースが私たちを書かれてある目的地へと導いてくれるか。
「Betapa Indah」英訳:How Wonderful
良い時も悪い時も一緒にいること。
「Cahaya Malam」英訳:Lights Of The Night
たとえば、人生で何か悪いことがあったとしても世界は回り続けているという比喩。そしてそれにどう対処するかということ。
「Sungai Peristiwa」英訳:River of Memories
自分を偽るのが好きで、賞賛や評価を得るためならどんなことでもやってしまう人のこと。 当然それはすべて偽物で、その人物の本来の姿は“仮面”の後ろに隠れている。
インタビューから一部抜粋
ARR:あなた方は夫婦ですよね。SATWOとして活動を始めるまでの流れを教えていただけますか。
Maz:2013年にクアンタンにあるホテルのラウンジで一緒に演奏を始めました。主に英語とマレー語のオールディーズやトップ40の曲を演奏していて、3か月間毎日会っているうちに、私たちの愛は徐々に芽生えていきました。一緒に仕事をし始めて7か月後に婚約、2年後に結婚したんですよ。そういえば、自分たちの結婚式でも演奏したの!それからマラッカで2年間路上ライヴをしていた時期があって、その時に稼いだお金を貯めて2016年にクアラルンプールでオリジナル曲2曲のデモを録音することにしました。「Untok Kita (Hanya Kita)」という曲のDIYミュージックビデオを撮影し、その後にLuncai Emasというレーベルにスカウトされたの。
ARR:SATWOというグループ名はマレー語で1を表すSatuと英語で2を表すTwoの合成語ですね。ここにはどのような意味合いが込められているのでしょうか。
Maz:SATWOという単語は、1曲の中に2つの声があることを象徴していて、私たちのほぼすべての曲で見られる、私たちの声を利用して独特のハーモニー効果を生み出す方法について触れているの。
ARR:最初は英語で歌っていましたが、音楽のコンセプトや目指していた音楽はどのようなものでしたか。また、誰か目標としていたミュージシャンはいましたか。
Maz:作曲を始めるとき、私たちは特にジャンルを決めて作曲するのではなく、自然に流れ出るままにさせて、そこからどう進んでいくかを見ていきます。けれども、英語であれマレー語であれ、私たちの作曲のほとんどはハーモニーを重視したものなので、THE BEATLESのスタイルは私たちの心の中で特別な位置を占めていると言えるわね。
ARR:さて、あなたがたは2018年8月17日に東京は高円寺にあるSUB Store Tokyoで演奏する機会がありました。どのようにしてこのような機会を得ることができたのですか。
Maz:私たちは千葉で開催される<SUMMER SONIC>を見るために日本に行きました。友人でミュージシャン仲間のNoh Salleh(注:HUJANのヴォーカリスト)が、もし演奏したいなら高円寺のSUB StoreのオーナーであるAndhika Faisalに連絡するように教えてくれたのよ。
ARR:日本にはおよそ2週間ほど滞在していたはずですが、その間、どのような経験をしましたか。
Maz:2015年に結婚した当時、私たちは新婚旅行に行く機会がなかったので、あの時の日本旅行は私たちの新婚旅行とも言えますね。東京に2週間滞在しましたが、2週間では時間が足りないくらい。見るものやりたい事柄がたくさんあり、東京をとても楽しんだわ。落合南長崎のAirbnbに1週間、それから銀座の一番安いホテルに1週間滞在しました。秋葉原のサウンドスタジオノアで数曲ライヴ録音(楽しみだけのために)したり、<SUMMER SONIC>に行ったり、<大井競馬場Tokyo City Flea Market>を見て回った時は床に並べられたタカミネのアコースティック・ギターの数々に驚き、渋谷のタワーレコードに行き、ハラール対応の「あやむや」でラーメンを食べ、ブックオフでスーツケース1つ分の中古CDとカセットを購入し、上野の国立西洋美術館に行き、葛西臨海公園でダイヤと花の大観覧車に乗り、結婚記念日には銀座の「Flor de Cafe 樹の花」に行きました。1979年にジョン・レノンとオノ・ヨーコが訪れたカフェだから。
ARR:では2024年にリリースされた1stアルバム『Di Persembunyian』についてですが、まず、レーベルのLuncai Emasとの契約にはどのような経緯があったのですか。
Maz:2016 年にインターネット・カフェにて自分たちの手で撮影、編集したDIYのミュージック・ ビデオ「Untok Kita (Hanya Kita) 」をアップロードしました。そして2017年にYouTubeではなく Facebookでそのビデオが注目を集めたのですが、PITAHATIのIlhamが私たちに声をかけてきてLuncai Emasと契約しないかと声をかけてくれたの。当時、私たちはすでにオープン・マイクや小規模なライヴ活動をしていたけど、「Echoes」「Feel Your Pain」「Face Your Fears」「Stuck in Between」「No Matter What」など英語の曲ばかりを演奏し、マレー語の曲は「Untok Kita (Hanya Kita) 」の1曲だけ。2018年10月に正式に契約し、Luncai Emasのビジョンに沿ってマレー語のフルレンス・アルバムを作ることにしました。彼らは私たちにはユニークなスタイルがあり、その技能を広げることに興味があると言ってくれました。
ARR:アルバムのアートワークには山奥の空中に浮かぶ黄金の球体。黒い服を着たあなた方2人を先頭に白い服を着た人々が後に続く姿が描かれています。タイトルになっている“Di Persembunyian”とこのアートワークにどのような意味が込められているのか教えていただけますか。
Maz:私たちって言葉遊びが好きなのよね。Di Persembunyianは隠れている/隠された音の場所ということ。“Sembunyi”は“隠れる”、“Bunyi”は“音”、という2つの意味がそこには含まれているの。アルバム・カバーのアート・ディレクションは、有名なコンセプチュアル・フォトグラファーのShah Azmanが担当しています。彼に私たちの曲を聴いてもらい、デビュー・アルバムのカバーにふさわしいものをイメージしてもらったのよ。大きな球体はアルバムの完成を象徴し、白い服を着た人々は、Rafizと私の過去の姿、つまり、最終的に今日のSATWOになる前に私たちが経験したすべてのことを表わしています。
ARR:アルバムの音楽については、結成当初のシンプルなスタイルとは少し異なります。まず、歌詞は英語ではなくマレー語です。サウンドは70年代風、またはノスタルジックな感じですがモダンさもありつ……うまく説明できませんが、この変更/追加要素はレーベルのアイデアだったと理解していますが、お二人はこの完成したものに満足していますか。お気に入りの曲などありましたら教えてください。
Maz:私たちの音楽スタイルを説明すると、オルタナティヴ・ミュージックとフォーク・ミュージックをミックスし70年代と80年代のマレー・ポップの要素を取り入れたものね。Luncai Emasと契約したとき、私たちは自分たちのアイデアと彼らのアイデアを組み合わせて、ある種、新しくて実験的なもの、あなたがおっしゃったように新鮮でありながら懐かしいものを作りたいと思っていました。シンセとストリングスの要素をすべて取り入れたのはプロデューサーのIlhamのアイデアで、彼は私たちの曲に新しい視点を与えてくれたわ。先ほども言いましたが、曲を作るときは特定のジャンルに限定せず、心にあるものを吐き出して自然に流れさせるだけ。聴衆にもそれを感じてもらえたらと思います。このコンセプトでの最終的な仕上がりには非常に満足しているわ。
私のお気に入りは「Sungai Peristiwa」「Akhirnya」「Cahaya Malam」「Langit Jingga」。
Rafizは「Gelap」「Sungai Peristiwa」が好き。
ARR:基本的に、あなた方自信がすべての曲を作詞作曲しているわけですが、プロデュースとアレンジを務めたIlham、そして彼のバンドPITAHATIのメンバーやSPIDERをはじめ様々なミュージシャンが演奏することで独自の雰囲気を加えていると考えます。まさに、SATWOとLuncai Emas関連の人々との相乗効果がこのアルバムだと言えるでしょう。本作に関わったミュージシャンたちを紹介していただけますか。
Maz:ドラムはPITAHATIのAchinとIqbal MのAidil。パーカッションはOly Fizly。ベースはPITAHATIのWatari(私たちと一緒に東京に来た人)。コントラバスにはMARGASATWAのShadiq。「Serahan Jiwa」でベースを弾いたのは他界してしまったSPIDERのTony。アディショナル・ギターとしてPITAHATIのZaharとHidayatが「Gelap」でギターソロを弾きました。(注:ブックレットを参照するとこの2人は他の曲にも参加しています)。また、RAMAYANのPi’eのフランス人妻が「Sepasang Sayap」でフランス語を話す場面もありました。他には、TITIKDINGINDAMAIのRusli Anuarが「Untok Kita (Hanya Kita)」「Langit Jingga」のストリングス・アレンジをしています。そしてその弦楽四重奏団はスルタンイドリス教育大学(UPSI)の3年生でした。Ilhamと私はいくつかの曲でシンセサイザーのパートを一緒に演奏しました。みんなが独自の方法で“味の素”を少し加えて、とてもユニークなものを一緒に作り上げたと思っているの。心から感謝しています。
ARR:あなた方が住んでいるのはクアラ・ルンプールから離れたクアンタンです。その地元の雰囲気というのは自分たちの作る音楽、そしてこのアルバムに反映されていると思いますか。
Maz:Rafizによれば、ええ、彼の曲作りは、住んでいる場所や日々の生活の仕方に影響を受けていると言っているわ。私個人としては、みんながみんな知っているような、のんびりしたペースの海辺の町で育ったことは素晴らしいことだけど、成長するには良くないことでもあと思うの。だから、マラッカ、コタ・ダマンサラ、シャー・アラムなどあちこち引っ越したことが、私の作曲スタイルの形成に役立ったと思う。
1stアルバム。
2024年発表
収録曲
01.Untok Kita (Hanya Kita) 5:59
02.Langit Jingga 5:16
03.Gelap 5:25
04.Sepasang Sayap 3:58
05.Aku Mahu 3:01
06.Akhirnya 3:10
07.Serahan Jiwa 5:20
08.Betapa Indah 3:51
09.Cahaya Malam 5:46
10.Sungai Peristiwa 5:40
サンプル動画は「Gelap」のMV
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