KEKAL "8"
KEKAL "8"
販売価格: 1,400円(税込)
商品詳細
--ついにその存在は永久のものとなる--
エレクトロを効果的に飲み込み自在に操る実験的前衛芸術メタル、KEKAL。最も海外で認められたインドネシアのバンドとして常に名前が挙る程になったものの、2009年にはすべてのメンバーが離脱。その存在が危ぶまれたが、ついに正式なメンバー不在のままKEKALは独立したひとつの存在として新たな命を持って歩み出す。
今回は、フィールド・レコーディングによって集められた素材と多くのサンプルをもとに膨大な時間をかけ綿密に編集し尽くしてデジタルで構築された無機的なサウンド。しかしこれまで通り、都市生活における隔絶、孤独感といった常に抱えてきた苦しみ、その中から啓発し、光射すまで歌い込んでくる情感は健在。つまり、もはや元の音が何かすらわからないまでに歪められた都市生活の雑音が生み出すヘヴィで無機質な情景に対し、その混沌としたノイズの中で生きていく人たちが味わうことになる苦悩や葛藤から生じる有機的な感覚、そのコントラスト。
これまでの作品の中でも特異な制作過程、そして内容とはなっているが、『8』はKEKAL史にとって、その存在を試され、ここから新たなKEKALという生命体の歩みが始まるという意味において最重要点に位置するアルバムといえる。
KEKALはその存在を確かめるように、常に新たな手法を模索、用いて現地点から別の新たな地を目指し旅を続ける。その目指すところは誰にも知り得ない。ただ、ひたすらにあがいて、あがいて、明かり灯るまで。
芸術とは つまり KEKAL その存在に他ならない。
2010年リリースの8作目。
インターネットラジオ「Cinta KecilのASIAN ROCK RISING」
vol.76の3曲目でPrivate School Of Thoughtを紹介しております。
最新の放送以外はスティッカム・プレイヤーのMenuからミュージックへ進み、お聴きになりたい過去の放送をクリックしてください。
収録曲
01.Track One 4:41
02.Gestalt Principles Of Matter Perception 6:06
03.A Linear Passage 5:39
04.Tabula Rasa 5:08
05.Private School Of Thought 4:37
06.The Regulars 2:24
07.Departure Gate 8 4:44
08.Heartache Memorial 5:06
09.Let Us Blend 5:24
10.Open World 3:59
11.End Unit Of The Universe 8:47
以下はFM yokohamaの番組『ROCK DRIVE』のブログ内コーナー「アジアン・ロック通信」用に書いた文章です。
===========================================================================
“メンバーが存在しないバンド”なんてものがあるだろうか。
かつて、存在しない映画のサントラという企画もあったが、その類いとは違う。想像上の架空バンドというわけでもないし、ましてや覆面バンドということでもない。バンドは確かに存在し、自己を証明するようにアルバムを発表している。
その名はKEKAL。
彼らはインドネシアのジャカルタで1995年に誕生した異端児だ。初期の頃はブラック・メタル的なエクストリーム・メタルの形態をとっていたが、その実、かなりプログレッシヴな感性を合わせ持っていて、アルバムを重ねるごとにその傾向は強くなり、近年はエレクトロ要素も含め、モダンかつアヴァンギャルド・メタル等と呼ばれるようになっていった。特に、2003年に発表された4枚目の『1000 Thoughts Of Violence』から、2008年の7枚目『Audible Minority』にかけての作品はセンスの固まりのような進化を見せ、欧米の鋭い感覚を持ったファンをも虜にしていく。当然、時折おかしなバンドが出てくるインドネシアにおいても、ひときわ異彩を放つ存在であった。
今から2、3年程前だったろうか、とある用件からメンバーの一人であるJeffray Arwadiに連絡を取った時のこと、メンバーは皆、脱退してバンドとしてはほとんど機能しておらず、自分は今、フィールド・レコーディングを独自に行っているという話を聞かされてかなり落胆した。
しかし、しかしだ。2010年にKEKALは『8』と名付けたアルバムを発表。けれども、公式なメンバーは存在しないというなんとも奇妙な状態となっている。これは一体どういうことなのか。Jeffray Arwadiが語ってくれた話をもとに少し整理してみよう。
ごく初期に、多少のメンバー・チェンジはあったものの、Leo Setiawan、Jeffray Arwadi、Azhar Levi Sianturiという3人でその活動のほとんどを行ってきたKEKALであったが、2006年に Jeffray Arwadiがカナダへ移住することになる。それでもバンドは2007年に『The Habit Of Fire』、2008年に『Audible Minority』とアルバムを発表し続けていたものの、2009年初頭に、Azhar Levi Sianturiはバンドから脱退することを決定。そしてほぼ同時期に、 Leo Setiawanも自分のプロジェクトに専念したいと思い始め、 Jeffray Arwadiに至っては、もう一生演奏することなどないのではないかという程、音楽に対する興味を失ってしまっていたという。この時点で、もはやバンドとしては死んだも同然というところまできてしまっていた。しかし、Jeffray Arwadiは携帯用のレコーダーを使用してのフィールド・レコーディングは行っており、Leo SetiawanやAzhar Levi Sianturiも自己表現を継続していたという。そう、だとしたら、自分たちが表現するものをKEKALの名の下に発表することも可能なのではないだろうか。その発想からKEKALの鼓動は再び激しく脈打ち始める。
Jeffray Arwadiは、グランドピアノ、バスの自動ドア、工事現場、警察のサイレンの音など、自分の録りためたあらゆる素材を途方もない時間をかけて編集し、その中から使えそうな物だけを選出して楽曲を組み立てていった。そこに、2009年初頭にLeo Setiawanから受け取ったデモからギターの音を抜き出して貼付けていくという、一種無機的なデジタル・プロダクションによって『8』というアルバムが出来上がっている。とはいうものの、都市生活を中心として感じられる疎外や孤独といったものを少しアクの強い独特の声で歌い上げていくエモーショナルな有機的感覚も存分に持ち合わせていると私は思っているが。音楽的にはこれまで以上にエレクトロ要素が強くなるのは必然ではあるが、感触としてはインダストリアルではあるもののメタルと形容しても許されるだろうし、前作ほどのダークさは持ち合わせていないにしろ、いつも通り重く薄暗い音像だ。まぁ、聴いてもらうほかない。ちなみに、Azhar Levi Sianturiはこれまで通り、ブックレットの中において素晴らしいイマジネーションを駆使した気味の悪い2Dイラストを披露している。
ところで、この“8”というタイトルには8枚目のアルバムという意味が込められているのは勿論なのだが、∞記号ともかかっているのだと言う。元々、KEKALという名前自体、”持続の”、”永久の”、”不滅の”といった意味がある。Jeffray Arwadiによれば、KEKALは誕生したとき以来、メンバーを含めた関係者やその生活からのエネルギーを吸収して、ひとつの独立した機関として己を維持してきたというのだ。要するに、公式に人間がメンバーとして在籍していなくても、存在し続けることが可能だということだ。今回、バンドは消滅寸前のところまで追い込まれてしまったが、それでも、『8』というアルバムが発表されることでその存在の確かさは証明されたのである。すでに、すべてのメンバーは2009年にバンドを離脱しているが、KEKALの生命はこれまでとは違った形で保持されているということなのだが、おわかりいただけただろうか。
これまでの作品の中でも特異な制作過程、そして内容とはなっている『8』はKEKAL史にとって、その存在を試され、ここから新たなKEKALが歩みが始まるという意味において最重要点に位置するアルバムといえる。
実は、2月の後半に年内にリリース予定となっている新作『Autonomy』のマスタリングが終了しているのだが、これまでみられなかったような試みもなされているようで、話を聞いていると制作者達もかなり満足する作品に仕上がっているように見受けられる。今年発売されるアルバムの中でも細心の注意と敬意を払って受け止めたいと思わされる一枚だ。
KEKALはその存在を確かめるように、常に新たな手法を模索、用いて現地点から別の新たな地を目指し旅して行く。その目指すところは誰にも知り得ない。ただ、ひたすらにあがいて、あがいて、明かり灯るまで。
芸術とは つまり そういうことだ。
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エレクトロを効果的に飲み込み自在に操る実験的前衛芸術メタル、KEKAL。最も海外で認められたインドネシアのバンドとして常に名前が挙る程になったものの、2009年にはすべてのメンバーが離脱。その存在が危ぶまれたが、ついに正式なメンバー不在のままKEKALは独立したひとつの存在として新たな命を持って歩み出す。
今回は、フィールド・レコーディングによって集められた素材と多くのサンプルをもとに膨大な時間をかけ綿密に編集し尽くしてデジタルで構築された無機的なサウンド。しかしこれまで通り、都市生活における隔絶、孤独感といった常に抱えてきた苦しみ、その中から啓発し、光射すまで歌い込んでくる情感は健在。つまり、もはや元の音が何かすらわからないまでに歪められた都市生活の雑音が生み出すヘヴィで無機質な情景に対し、その混沌としたノイズの中で生きていく人たちが味わうことになる苦悩や葛藤から生じる有機的な感覚、そのコントラスト。
これまでの作品の中でも特異な制作過程、そして内容とはなっているが、『8』はKEKAL史にとって、その存在を試され、ここから新たなKEKALという生命体の歩みが始まるという意味において最重要点に位置するアルバムといえる。
KEKALはその存在を確かめるように、常に新たな手法を模索、用いて現地点から別の新たな地を目指し旅を続ける。その目指すところは誰にも知り得ない。ただ、ひたすらにあがいて、あがいて、明かり灯るまで。
芸術とは つまり KEKAL その存在に他ならない。
2010年リリースの8作目。
インターネットラジオ「Cinta KecilのASIAN ROCK RISING」
vol.76の3曲目でPrivate School Of Thoughtを紹介しております。
最新の放送以外はスティッカム・プレイヤーのMenuからミュージックへ進み、お聴きになりたい過去の放送をクリックしてください。
収録曲
01.Track One 4:41
02.Gestalt Principles Of Matter Perception 6:06
03.A Linear Passage 5:39
04.Tabula Rasa 5:08
05.Private School Of Thought 4:37
06.The Regulars 2:24
07.Departure Gate 8 4:44
08.Heartache Memorial 5:06
09.Let Us Blend 5:24
10.Open World 3:59
11.End Unit Of The Universe 8:47
以下はFM yokohamaの番組『ROCK DRIVE』のブログ内コーナー「アジアン・ロック通信」用に書いた文章です。
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“メンバーが存在しないバンド”なんてものがあるだろうか。
かつて、存在しない映画のサントラという企画もあったが、その類いとは違う。想像上の架空バンドというわけでもないし、ましてや覆面バンドということでもない。バンドは確かに存在し、自己を証明するようにアルバムを発表している。
その名はKEKAL。
彼らはインドネシアのジャカルタで1995年に誕生した異端児だ。初期の頃はブラック・メタル的なエクストリーム・メタルの形態をとっていたが、その実、かなりプログレッシヴな感性を合わせ持っていて、アルバムを重ねるごとにその傾向は強くなり、近年はエレクトロ要素も含め、モダンかつアヴァンギャルド・メタル等と呼ばれるようになっていった。特に、2003年に発表された4枚目の『1000 Thoughts Of Violence』から、2008年の7枚目『Audible Minority』にかけての作品はセンスの固まりのような進化を見せ、欧米の鋭い感覚を持ったファンをも虜にしていく。当然、時折おかしなバンドが出てくるインドネシアにおいても、ひときわ異彩を放つ存在であった。
今から2、3年程前だったろうか、とある用件からメンバーの一人であるJeffray Arwadiに連絡を取った時のこと、メンバーは皆、脱退してバンドとしてはほとんど機能しておらず、自分は今、フィールド・レコーディングを独自に行っているという話を聞かされてかなり落胆した。
しかし、しかしだ。2010年にKEKALは『8』と名付けたアルバムを発表。けれども、公式なメンバーは存在しないというなんとも奇妙な状態となっている。これは一体どういうことなのか。Jeffray Arwadiが語ってくれた話をもとに少し整理してみよう。
ごく初期に、多少のメンバー・チェンジはあったものの、Leo Setiawan、Jeffray Arwadi、Azhar Levi Sianturiという3人でその活動のほとんどを行ってきたKEKALであったが、2006年に Jeffray Arwadiがカナダへ移住することになる。それでもバンドは2007年に『The Habit Of Fire』、2008年に『Audible Minority』とアルバムを発表し続けていたものの、2009年初頭に、Azhar Levi Sianturiはバンドから脱退することを決定。そしてほぼ同時期に、 Leo Setiawanも自分のプロジェクトに専念したいと思い始め、 Jeffray Arwadiに至っては、もう一生演奏することなどないのではないかという程、音楽に対する興味を失ってしまっていたという。この時点で、もはやバンドとしては死んだも同然というところまできてしまっていた。しかし、Jeffray Arwadiは携帯用のレコーダーを使用してのフィールド・レコーディングは行っており、Leo SetiawanやAzhar Levi Sianturiも自己表現を継続していたという。そう、だとしたら、自分たちが表現するものをKEKALの名の下に発表することも可能なのではないだろうか。その発想からKEKALの鼓動は再び激しく脈打ち始める。
Jeffray Arwadiは、グランドピアノ、バスの自動ドア、工事現場、警察のサイレンの音など、自分の録りためたあらゆる素材を途方もない時間をかけて編集し、その中から使えそうな物だけを選出して楽曲を組み立てていった。そこに、2009年初頭にLeo Setiawanから受け取ったデモからギターの音を抜き出して貼付けていくという、一種無機的なデジタル・プロダクションによって『8』というアルバムが出来上がっている。とはいうものの、都市生活を中心として感じられる疎外や孤独といったものを少しアクの強い独特の声で歌い上げていくエモーショナルな有機的感覚も存分に持ち合わせていると私は思っているが。音楽的にはこれまで以上にエレクトロ要素が強くなるのは必然ではあるが、感触としてはインダストリアルではあるもののメタルと形容しても許されるだろうし、前作ほどのダークさは持ち合わせていないにしろ、いつも通り重く薄暗い音像だ。まぁ、聴いてもらうほかない。ちなみに、Azhar Levi Sianturiはこれまで通り、ブックレットの中において素晴らしいイマジネーションを駆使した気味の悪い2Dイラストを披露している。
ところで、この“8”というタイトルには8枚目のアルバムという意味が込められているのは勿論なのだが、∞記号ともかかっているのだと言う。元々、KEKALという名前自体、”持続の”、”永久の”、”不滅の”といった意味がある。Jeffray Arwadiによれば、KEKALは誕生したとき以来、メンバーを含めた関係者やその生活からのエネルギーを吸収して、ひとつの独立した機関として己を維持してきたというのだ。要するに、公式に人間がメンバーとして在籍していなくても、存在し続けることが可能だということだ。今回、バンドは消滅寸前のところまで追い込まれてしまったが、それでも、『8』というアルバムが発表されることでその存在の確かさは証明されたのである。すでに、すべてのメンバーは2009年にバンドを離脱しているが、KEKALの生命はこれまでとは違った形で保持されているということなのだが、おわかりいただけただろうか。
これまでの作品の中でも特異な制作過程、そして内容とはなっている『8』はKEKAL史にとって、その存在を試され、ここから新たなKEKALが歩みが始まるという意味において最重要点に位置するアルバムといえる。
実は、2月の後半に年内にリリース予定となっている新作『Autonomy』のマスタリングが終了しているのだが、これまでみられなかったような試みもなされているようで、話を聞いていると制作者達もかなり満足する作品に仕上がっているように見受けられる。今年発売されるアルバムの中でも細心の注意と敬意を払って受け止めたいと思わされる一枚だ。
KEKALはその存在を確かめるように、常に新たな手法を模索、用いて現地点から別の新たな地を目指し旅して行く。その目指すところは誰にも知り得ない。ただ、ひたすらにあがいて、あがいて、明かり灯るまで。
芸術とは つまり そういうことだ。
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